こんな取り組みがある

不登校児を無くした介護犬の存在

社会人の悩みとなる軋轢などは、転職や生活拠点を変えるなどすればいくらでも身辺を一新することは可能だ。それだけをする経済力と行動力を持っていることが前提となりますが、それでも学生に比べれば自分で自分の行動を制御できる。これが小学生となると、自分の悩みを解決したくてもできず、逃げたくても逃げ場所が存在しない、逃げた先で暮らしていくことも出来ない。子供一人では生きていくことは出来ない、困っていても誰も助けてくれないという事実だけがのしかかってきてしまう。

不登校児という存在は今でも日本の中では社会問題となっている、その数は減ることなく微々たるながら増加の一途というからこの先どうなるのかと、そう不安視する人も多いはず。自分の子に限ってそんなことにならないで欲しい、いけなくても自分たちが味方だからと親が子供を匿い、社会から切り離した生活にしたとしても問題全てが解決されたわけではない。むしろそうした行動が余計に事態を悪化させかねないからだ。できることは、子どもたちが自分から自発的に学校へ行けるような環境づくりをすること、これが最大最難の課題となっている。

そんな中である学校ではこんな取り組みが行われていたという。不登校児だったその児童は引きこもりがちだったが、その学校の教頭が実施していた介護犬の散歩に付き添わないかと誘うと、それまで外出することも出来なかった児童が犬の散歩に付き合うまでになったという。そして犬がいるならと放課後ながら学校を訪れるようになるまで回復した時に発した一言がきっかけとなり、この先生はある試みを行うことになった。

学校犬として就任

引きこもりがちだった児童は、

『学校に犬がいたらいいのに』

そんな何気ない一言を発したことにより、学校に介護犬を設置すれば子どもたちにいい影響が与えられるかもしれないとして、早速とばかりに導入が開始された。するとその効果は予想をはるかに超えた物となり、その頃毎年必ず2人ほどはいた不登校気味の児童が、学校に犬がいるという事実に促されて訪れるようになったという。もし万が一教室に入るだけの勇気がなかった場合でも、犬に逢うだけでもいいと言うと、来てみたいと思うようになったというから成果は大きい。

またその他の悩みを抱えている児童たちにしても、何か疲れたこと、嫌なことがあったら犬を訪ねて遊んだり、撫でたりといったことをして精神的に落ち着ける場所を獲得できたといったように良い影響をもたらしていったのだ。その後も大勢の児童たちの心を助ける学校犬が出産をすることになる。命の誕生、子犬の生育という中々お目にかかれない場面に遭遇して、子どもたちはこぞって面倒を見ようとする用になったという。

きっかけはほんの些細なものだったが、動物が子供に与える影響がまだ自分というものを上手く制御することの出来ない児童たちの精神を安定させるバランサーとして機能した。動物という存在が学校空間にいる、画期的な取り組みと言えるのかもしれません。

大きなきっかけ

ならば学校犬を置いてみてはどうかとしても、それが必ずしも正しい効果をもたらすとは限らない。今回の事例では介護犬としてある程度訓練を積み重ねられた犬だからこそ可能だったからこそ、実施できたのだろう。これを何の訓練もしていない犬の場合、人に対して抵抗感を持たない性格を持っているかが肝心となる。また犬は群れのリーダーを定める生き物であるため、学校の教職員の誰かが責任をもって飼育するという、そうした負担も強いられることになる。

けれどこうした取り組みが少しでも進展すればペットの殺処分などの問題も解消へと繋がり、子どもたちの心を癒やす存在に育て上げることも可能ではないか、などと考えてしまう。動物の存在は身近にあり、そしていつしか大切な存在へと成り代わるものだ。命のやりとりを実際に見ていない子供にとって、動物との接触は非常に大きな意味をもたらす。命とはなにか、そんな疑問を抱きながらも世話をしなければ生きていけない、そんな事実を認識できるようになれるはずだ。

心に多くの悩みを抱える小学生にもたらした光明、こうした事例が増えればもしかしたら何かが変わるきかっけになるかもしれない。