多感な中学時代

自分が少しずつ確立されていく

小学生という段階を飛び越して、次の段階となる中学生になると悩みは学校だけに限らず、明確に社会との軋轢へと繋がってしまうことも考えられる。中学、人によっては公立ではない私学の学校へと進学することもある、そうなれば電車通学という手段を取らなければならない。自宅から近い人もいれば、遠い人もいるだろう。それこそ片道1時間掛けて訪れる学生も少なくないはずだ。公立の中学校であれば場合によっては親の目が行き届く範囲で、ある程度対応はできるだろう。子供が普段どんなことをしているのか、些細な行動も見落とさずにいられる。

ですが電車通学で見知った場所ではない土地での学校ともなると、日中にどんなことをしているのか、学校で何が起きているのか、把握することは難しい。学校に問い合わせたとしても、子供に問い合わせたとしても、曖昧な答えしか帰ってこない。そのため親はただ無事を信じるしかないのも、それはそれで問題だろう。

この時期になると精神的な成長が特に見られる時期であり、より他人との明確な違いを自覚させられる瞬間だと言ってもいい。そうした中で自分が他人よりも劣っていて、また学校の中で自分が一番弱い立場にあると思わされれば、やがていじめという明確な嫌がらせを受けてしまう。多感だからこそ、ある意味悪目立ちする存在をけなすことにより、自分よりも劣った存在を貶める事を快感として覚える瞬間でもある、中学生ともなると親や教師には知れないくらいの深い闇が誕生する瞬間でもある。

この時期に多くある悩み

中学生で頻繁に見られる悩みといえばなにか、そう考えるとここもやはり定番となっているのが『容姿についての悩み』だ。それまで気にしていなかったことを同級生から嫌がらせ地味た行動により茶化されてしまい、それが劣等感に苛まれる人も多いはず。不満を親にぶつけることもあるが、だからといってそれで解決はしない。また周囲の同級生から得る情報を手探りに手繰り寄せて、自分なりに色々試してみるなど、それまでしなかったようなことを率先して行うようになっていく。

そういう意味で共通している行動といえば、男女ともに『身だしなみを率先して行う』だ。男子にしても高速に引っかからない範囲で服装を見出したりして、女子は薄いながらも化粧をするなどして自分を彩る事を覚えていく。これはいわば、大人への仲間入りを果たしたいとする願望から来ていると言われている。ただ大人とはどういうものなのか、こんなことをするのが格好がいいんだと間違った情報によって翻弄されてしまうケースも少なくはない。良い例がタバコやお酒といった物に直接繋がる。お酒を飲めるから自分は大人、タバコくらい嗜めなければ大人になれないなど、そうした情報が行き交ってしまい、皆がしていたら自分もしなければならないという焦燥感に駆られてしまう。

こうした友人関係により、自分というものがどういうものなのかという以前に、自分はこうあるしかないと思わされる時期でもある。自分を出すことはむしろ敬遠され、全体の中に溶け込んでいなければ排他されてしまう、そうした闇が確かに存在しているのだ。

蔓延る火種

中学生にもなると、周囲の大人にも秘匿する秘密を抱え込みやすくなる。自分がいじめられているなどがいい例だが、そうしたことを一切誰にも言うこと無く、鬱屈した感情を抱え続けているものだ。いじめとは限らず、友人関係や恋愛関係、果ては成績などもいい例だろう。言いたくないではなく、言えないといったほうが正解かもしれない。そうした心の中に自分しか知らない空間を形成して、日々募らせる不満を押し込めていく。だがその空間が大きくなればなるほど自分というものに嫌気が差してきて、やがて苦しみから逃げるように死という手段を選んでしまう。

そうした事件がニュースで報道される度、そうした予兆はなかったと言われているのを聞く度に思う、言っていないのだから気づけるはずがない。ただそうした心の機微を悟って欲しい、でも伝える手段がないというのも、この時期ならではの悩みといえるかもしれません、また悩みを吐露したら駄目なのかもしれないという葛藤にも苛まれてしまうと、余計に悪循環を引き起こしてしまう。中学生という時代は、誰かに打ち明けたくてもそれが逃げていると見なされてしまう傾向にあるため、問題が表面化しないのでしょう。

こうした時期を乗りきれるかで

ただこうした時期はこれからも続いていく事になる、それこそ高校へと進学してもだ。悩みが解決されないまま、進学する時期に結局差し掛かる。そうしていつかは全体の中へと溶けこんでいかなくてはならない。一つだけ言えることとするなら、この時代に抱える問題というのは社会でも地味に続くものだと実感すると、無性に悲しくなったりする。