思春期のピーク、高校生

全体の中で、自己を見つける

中学生を乗り越えると高校生になる、とも限らないが一先ずの道筋として高校という選択肢を選んだとしておく。この時期もまた中学生と同様、悩みという悩みを表に出さない傾向にある、しかしこの時期から段々と体つきが大人に近くなっていき、精神的にもそれまで子供だった部分が脱皮を始めるように成長の一途を追うこととなる。そうして行く中で自分がこれからどうしたいのか、どんなおとなになりたいのか、どうやって大人になっていくのか、そうした部分が垣間見える時期となるものの、やはり根本的には子供であることに変わりはない。何でも自分で決められるようになっているが、最終的に大人からの助力がなければ決定できないことも多い。

高校生が一番大人と子供との境目に立たされる年代であり、悩みとしてあげられるものも将来どうなっていくんだろうといった進路関係が問題の中心となっていく。この問題から目をそらそうとしても出来ず、必ず何かしらどのように進路を見定めていかなくてはならない。またこの頃になると自分がどのくらいの能力を持っているのかを、早くから悟っている人もいる。そして自分が取るべき道はこうだと現実的に事を受け止める人が多いとも言える。

思春期の時代から、青年期へとさしかかろうとする高校生、この時期の悩みはより社会との折り合いをしていけるような心構えを養っていかなければならない、そんな時代だ。

目に見えて出てくる、進路問題

思春期と青年期の狭間に立たされている高校生ですが、この時期になると法律上でもアルバイトをして社会の末端ではあるが、労働にも携われることが出来る。実際、高校入学を機に始めた経験をした人もいるだろう、働ける場所にこそ限りはあるもののそれまでの学校生活とは違った空間となっているので、新鮮といえば新鮮だ。しかしそうした世界に関わったからといって、学校での問題が解消されるわけではない。ゆくゆくは見通しを付けなければならない事、進路という問題を蔑ろにすることはできない。

学校としてもそれは同じく、進路を決めかねている生徒がいればどうするのかと何度と無く訪ねてくる。それで無難に答える選択肢として、進学という道筋だろう。ですが進学を希望しても、それが実現するとは限らない、浪人してしまうかもしれないという恐れはやはり出てくる。そうした最悪の状況を回避したいからこそ、推薦入学などの一般入試ではない可能性の高い方を選択する人も出てくる。しかしそうした推薦入試を受験するにしても、それまでにきちんと優秀な成績を残せているかが焦点となる。付け焼き刃ではどうしようもない、そういう人が取るべき道は卒業を間近に控えた時期にある、受験シーズンを載り切らなければならない。

高校生になってから気づくその辛さは正直底知れない部分がある、学校の授業だけをしているだけでは追いつかない、自習をしても自分で分からないところが出たらどうしよう、そうした不安は尽きない。この歳になると人間関係などもそうだが、一番は将来自分がどのように進路を決めるかという悩みによって多くの人が葛藤する。学校生活などの面での問題はあるにしても、それよりも今後の自分がどうなっていくのかが大きな不安材料となると言われている。

自分の問題は自分で

進路という問題に悩まされる、それはつまり自分の問題を自分で解決するためにはどうしたらいいのか、という考え方の第一歩となっている。発達課題についてだが、中学生から高校生までに当たる時期に遭遇するのは通称『忠誠心』、と呼ばれるものだ。自分という個で物事を考えるのではなく、全体として見た場合にはどうしたらいいのかを考えることを覚えていく時代となっている。そうすることにより、一個体としての意思で動くことは許されず、全体の意思にしたがって動き続けなければならないと、そうした考えを持たなくてはならない時期とも言える。

だがそうした全体の意思を尊重しても、最後にはやはり自分の問題は自分で片付け無くてはならない。卒業という明確な時期に差し掛かれば見えてくるが、いつまでもいなれば場所にいられなくなるため、自分がこれから進む道を選択するだけの決定権を持たなくてはならない。他人と同調するように進路を見定めても、それが自分が少しでも望む道にそぐわなければ意味が無い。卒業したら親しかった友人とも離れることを覚悟して、独り立ちを覚える必要がある。

高校生の難しさ

そういう意味で言うなら、高校生というのはなんとも歯がゆい限りだろう。大学生のように自由な時間で働くことも出来なければ、勉強するにしてもその勉強はあくまで進学を想定した物を中心に学ばなければならない。自分で決めると言っても、自分で決められることは実は数少ない。大人なようで子供な時期、高校生であることを人によっては恨めしく思っていたということもあるかもしれません。しかし大学生になれば少しはまともになると言ったら、そうでもない。