半永久的に続く、社会人

理不尽な世界への門出

大学生を無事卒業して、これからは晴れて社会人として第一歩を踏み出す事になる。手放しに喜びを表現する人がいるとしたら、そういう人はこの時代にはとても稀有な存在だ。働くことを生きがいとする人ならそれもありえるかもしれない、しかし学生から社会人へランクアップすると世界の理不尽さに巻き込まれることが多々ある。こうした問題は社会人に限った話ではない、大学生でもアルバイト先で自爆営業もそうだが、自分が関わっていない苦情の責任を上司から一手に何故か悪者に仕立てられてしまうというような、納得できるはずもない状況に遭遇することもあるからだ。

なすりつけられた言われのない責任問題に関して、何かと経験がある人もいるでしょう。上司と部下という関係が成立している場合、上司が引き起こした問題の責任を拭うのは本来当人のはずだが、何故か部下へとその矛先が変わってしまっている。よくある話だ、ある意味では社会人になったら受けるだろう洗礼の一種と見ていいかもしれない。そうして人は大人へとまた一歩近づいていくのだった、なんて美談で済ませられる人ばかりではない。

社会に出たら毎日そうしたことが頻発することもある、それこそ自分と縁もゆかりもないような赤の他人から罵声を浴びせられることもあっても、面と向かって文句を言ってはいけない。耐え忍んでこその社会人とは言っても、限界はある。そうした日々募らせていく仕事上の悩み、しかし仕事先で直接そのような不満や文句を呈するのは憚られる可能性もないわけではない。そうなると誰か親しき友人に相談するという手段もあるのかもしれないが、過去に調査されたあるデータでは社会人の心の闇もまた深いという事実が見て取れる。

親友という存在

仕事の悩みを打ち明ける友人、また自分の色々な相談に乗ってくれる親友という存在は非常にありがたい。今では頻繁に会うことは叶わなくても、機会があれば必ず遊んでいるという特定の人間が一人でもいるだけで、その人の人生は素晴らしいでしょう。仕事上の付き合いだけでいえば色々な人と関係を結ぶことはあっても、一歩踏み込んだ友人関係になれるかどうかははっきりとしない。中にはそうした人もいるでしょう、または学生時代からの長い付き合いというケースもある。

ですが実際に、自分をさらけ出して話せるような人間がいるかどうかという質問に対して、イエスと答えられた人はさほど多くはないという。心を開ける友人が何人いるかという問いかけに対して、

  • 1位:1人~3人…44%
  • 2位:いない…40.7%
  • 3位:4~6人…10.7%
  • 4位:7~9人…3.6%
  • 5位:10~14人…1.0%

このような結果になった。一番多くて1人から3人となっているが、次に多かったのが親友と呼べる存在は1人もいないというのだ。これに驚く人もいるかもしれないが、実際問題自分を全て曝け出せる相手が作れるかどうかも中々うまくはいかない。特に社会人ともなると、同期の友人を作っても実質的には仕事上のライバルとしての立ち位置が強く、そのまま対等な友人関係を築いていけるかどうか、といった不安が先行する人もいるかもしれない。

学生時代に仲が良かった友人にしても、進路が違えてしまえば必然と会う時間は限られてしまう。そのまま縁が切れてしまい、気づけば仲の良かった人が1人もいなくなっているという状況になっていることもあるくらいだ。親友と呼べる存在を1人作るだけでも、心の拠り所としてありがたい。社会に出ればそれまで居場所であった家族に頼ることも出来ず、自分の問題は自分で解決しなければならない。悩みを聞いてくれる人を作るのも容易くないというから、社会人の辛さが地味に感じられる結果には心が萎えてしまいそうだ。

悩みが尽きることはない

小学生から社会人までの時間、およそ20年前後となるこの期間に抱える悩みは数知れずとなっているものの、こうして見ていると悩んでいる要素は殆ど変わっていない。人間関係は勿論だが、学業を仕事の技能レベルに置き換えてもやはり他人との差は生じるべくものであり、企業という社会の枠では学校以上に厳しさが求められる。いつまでも学生気分でいるんじゃない、そう罵しる企業側の意見が身にしみて痛感するところではないか。

過去これまで抱えることとなる問題はいつまでも変わらないだろう、しかしそうした問題を自分なりに解消していく術を見つけていかなければならない。悩みを抱えていないように見える人も、見せていないだけということもある。見せられないだけという人もいるが、そういう人にこころの許せる親友がいればまた話は変わってくるが、そうも行かないとなると辛いところだ。

けれど1つ言えるのはいくつになっても、抱える問題は共通しているということだろう。