小学生の場合

子供の心はどうなっているのか

まず最初に見て行きたいのが、人格形成という段階において重要な影響を及ぼす時期となる幼年期を過ぎて、集団生活をこなしていくことになる小学生についてだ。この頃になると、自己という存在をある程度定義できるようになっているものの、まだまだ親の手が必要な時代ではある。誰しも小学生時代のことを思い返してもらえればいいと思うが、悩みの1つや2つくらいあっただろう。そうした中で自分がどうしていくべきか、社会というものがどのようなところなのかを学んでいく場所が学校だ。最初こそどうして朝早くから夕方ぐらいまで勉強しなくちゃいけないんだと、不満を爆発させて登校をしたがらない子供もいるでしょう。正直、ここからが分岐点といえるかもしれません。

学校はそれまでの生活と違って、自分自身の意見が全てまかり通るような環境ではなく、自分以外の他人との生活を恭順していかなければ生きていくことは出来ない空間だ。甘えは許されず、全体行動の中で勉強をこなし、運動をして、学校生活とはどのようなものなのかを学んでいく。ここはいわばスタートと言ってもいいだろう、この先待ち構えている中学校・高校・大学、そして社会で生き抜いていくために切磋琢磨を覚えるしかない。そこまで努力をした覚えはない、寧ろ自堕落に過ごしていたという人ももしかしたらいるかもしれませんが。

ただ唐突なまでの環境変化は少なからず子供にも影響を与える。また入学したばかりの子供にすれば、親と離れてすごさなければならないことに不安を覚える子も出てくる。そうしたこともひとつの経験として蓄積されていき、やがて学校が楽しくなっていけるのが理想的だ。そうならないからこそ、世間で問題となっていることが生じてしまっているわけだが。

一見すると小学生なんて、ただ本能の赴くがままに騒いでいるだけの暴走列車のようなものと思うかもしれません、しかし彼らには彼らなりの特有した悩みが存在していることを、周囲がもっと知る必要があります。

優越感と劣等感の狭間で

小学生とは、勤勉性を学ぶべき段階に到達していると言われている。これは心理学者であるエリクソンが提示した理論『発達課題』に即した物となっている。勤勉性と言われても想像できないという人もいるので、簡単に例を挙げるとするとならそれこそ勉強だ。小学生になる前から英才教育として既に読み書きや計算といった事以外にも、小学校から学ぶ理科なども学習しているといった教育指導を行っている方もいるだろう。

勉強をすることは大切だ、しかしそれも家族から促されること無く自分自身で、誰に言われるまでもなく取り組んでいけるかどうかが決めてだ。最初こそ補助は必要だ、それから少しずつ後ろを押されること無く、自分自身で必要だからと認識して勉強をしていかなくてはならない。自分がやらなくてはいけないことを誠心誠意取り組んでいけるかどうか、ここでの勤勉性はそうした意味合いからも使われているのだ。

しかしただやらせるだけではあまりに機械的すぎる、そうならないようにするためにも子供にあることを思わせなければ成功とはならない。それは『やれば自分でもできる』という自覚を持たせていかなくては、目的意識ないままだといつかは行き詰まってしまいます。有能感を持たせるのは必要なことだが、度を越してしまうと自分にできないことはないという思い込みに繋がってしまうため、注意が必要だ。

勤勉に出来なかった場合

では逆に勤勉性を発揮できなかった場合にはどうなるのかを考えてみると、行き着くのはこちらも定番という言い方も正しくはないかもしれないが、劣等感へと行き着いてしまいます。他人と競争をしていれば、否が応でも自分と他人との能力差を思い知らされて落胆してしまいます。そうした時、自分なんてと思う感情を持つことも時には大事だ。

ただ劣等感を抱くことが必ずしも悪いことではない、自分が人よりも能力が劣っていると思ってもそれを克服するという流れに転じさせれば、苦手意識を克服するように意欲を持たせることが出来るのです。ですがこの時要注意なのが、劣等感を持たせすぎることにより、自分はいらない、どうにもならないと思うようになってしまい、やがては不登校という目に見えた行き先へと到達してしまいます。

ここで周囲の大人がするべきことは、子供が勤勉に物事に取り組み、有能感を持たせる事を念頭に置きつつ、時に苛まれる劣等感から子供が脱却できるように苦手への取り組みを行っていけるよう道筋を作ってあげる、これが最優の選択肢だ。出来る人、出来ない人は必ず出てくるでしょう。ですがそうした中でも着実に進歩してもらうためには、子供の自発的な活動を尊重してあげるのも1つの手段と言える。甘やかしすぎるのも良くない、適度に付かず離れずの距離感を保っていったほうがいいというわけだ。

大事な時代だからこそ

小学生時代はそうした勤勉性と衝突する時期と言われていますが、そうした中で親や教師などから叱責を受けることがある。その中で褒められる事を一度もされず、また叱られることしかされなければ子供は劣等感にとらわれてしまいます。すると自分は何も出来ない、自分なんていらないんだ、皆自分が嫌いなんだと堂々巡りの結末を迎えてしまう。それがひいては家族間の不和へと繋がり、仲の良い友達と夜遊びをするといった行動へ繋がってしまうのだろう。

そうした行動を本来なら親が止めるべきはずなのだが、放任する親にも何らかの問題があるとも考えられる。